検便はなぜ必要か~「腸チフスのメアリー」
食品を取り扱われている方の多くは、定期的な検便を実施されていることと思います。
特に給食施設などでは、かなりの頻度で行わなければならず、煩わしいと思われたこともあるかと思います。
さて、検便を実施する理由とは、何でしょうか?
実は、健康保菌者(感染症等の病原体の無症状病原体保有者)を早期に発見することが第一の目的なのです。
しかし、「健康保菌者の早期発見」と言っても、あまりピンと来ないと思います。
そこで、今から1世紀以上前に、健康保菌者の概念が確立されたある象徴的な事件をご紹介したいと思います。
腸チフスのメアリー(Typhoid Mary、タイフォイド・メアリー)
メアリー・マローン(Mary Mallon、1869年 – 1938年)
世界で初めて発見されたチフス菌(Salmonella enterica serovar Typhi)の健康保菌者、すなわち、発病はしていないけれど病原体に感染していて感染源となりうる人です。
アイルランド系アメリカ人で、1900年代初めにニューヨーク市周辺で発生した腸チフス(Typhoid fever)の感染源となり、当時「腸チフスのメアリー」と呼ばれていました。
メアリーは、14歳のときに単身でニューヨークへ移住し家事使用人として働いていました。
1900年頃には、料理の才能と人柄の良さが信頼を集めて、住み込み料理人として富豪宅に雇われ、普通の使用人より高報酬を得ていました。
腸チフスの流行
20世紀初頭、ニューヨーク近郊では腸チフスが小規模かつ散発的に流行していました。
メアリーの富豪宅の住人もこの疫病に襲われ、メアリーの看護も虚しくその病状は重くなる一方でした。
1900年~1907年の間の勤務先では、22人の感染者が発生し洗濯婦1人が死亡しています。
感染源は?
メアリーの雇人から腸チフス感染原因の解明を依頼された衛生士ジョージ・ソーパーは、疫学的な調査を行なった結果、彼女が住み込みした直後から腸チフスが発生しているという事実にたどり着きます。
ソーパーはメアリーがチフス菌の保菌者なのではないかとの思いを深め、メアリーに自分自身が感染源となり多くの犠牲者を出している旨を伝えた後、疫学調査のために尿と糞便のサンプル提出を求めましたが、激しく拒否されてしまったので、ニューヨーク市衛生局のハーマン・ビッグスに相談しました。
ビッグスは、医師サラ・ジョセフィン・ベーカーをメアリーの元に赴かせて再び説得を試みましたがまたも激しく抵抗したため、三回目の訪問時には五人の警官が共に赴き、長時間に亘る捜索の末、隠れていたメアリーを拘束しました。
市衛生局において、彼女の細菌検査を行なった結果、便からチフス菌を検出したため、ノース・ブラザー島の病院に隔離されることとなりました。
彼女は、腸チフスを発症したことがなく、保菌者であるという自覚が無いまま周辺の人々を感染させる健康保菌者だったのです。
当時の細菌学では、特にチフス菌のように毒性の高い細菌が不顕性感染となることは分かっていませんでした。
訴訟事件へ
|
|
|
一方、メアリーは、当時の社会常識において、「健康保菌者の存在」という概念が唐突なものであったことから「いわれのない不当な扱いを受けている」と考えていたようです。 市衛生局は1年以上もメアリーの便からチフス菌が排出されつづけていることを確認していましたが、彼女自身が独自に別の検査を行いチフス菌不検出の報告を受けたことで、自分が不当な扱いを受けているという確信を強め、隔離から2年後の1909年に、市衛生局を相手に隔離の中止を求めて訴訟を起こしました。 この訴訟の間も、メアリーは隔離されたままであり、病室の窓ガラス越しにマスコミの取材を受けたことが、世間の注目を集めることとなり「Typhoid Mary」の名を世の中に広めるきっかけになったといわれています。 |
訴訟は、結局、市衛生局の勝訴となり、この訴訟によってメアリーは、1910年、(1)食品を扱う職業への就業禁止、(2)居住地を定期的に連絡すること、を守ることを条件に自由の身となりました。
再び隔離
しばらくは、取り決めを守り洗濯婦など食品を扱わない家事使用人として所在を定期的に連絡してきていましたが、その後消息不明となりました。
居場所が明らかになったのは、解放5年後、再び感染源として見つかったときです。何と彼女は、調理人としてニューヨークの産婦人科病院に偽名で働いていました。
そこでは、腸チフス感染者25人と死者2人の惨事となり、再び病院に隔離されその後亡くなるまでの23年間を院内で過ごしました。
「メアリーの腸チフス」の感染源
病理解剖の結果、メアリーの胆のうに腸チフス菌の感染巣があったことが判明しました。
通常、食品とともに消化器に入ったチフス菌は、異物を分解する役割のマクロファージ細胞内で増殖し、腸間膜リンパ節から肝臓、脾臓などに全身に感染が広がり腸チフス特有の症状が現れます。
しかし、チフス菌が胆のうのみに感染した場合は、特別な症状が現れないまま胆のう内部に定着し、胆汁に混ざってチフス菌を腸内に生涯排出しつづけることが明らかとなりました。
メアリーの症例では、チフス菌の最初の感染力が弱く、本人の抵抗力が勝ったため症状が現れず、同時に腸チフスに対する抗体などの免疫を獲得したことから、本人には症状が現れることがなかった「不顕性感染」(ふけんせいかんせん)と考えられています。
便とともに排出されたチフス菌は、手指を経由して料理に付着し、喫食した人々に感染が広がったものと考えられています。
不顕性感染とは
不顕性感染(ふけんせいかんせん)とは、細菌やウイルスなどの病原体への感染してはいるが、臨床的に確認される感染症状を発症していない感染状態です。
不顕性感染の人は、特有の臨床症状を示さないため、感染源となるうることに本人が気付かないまま病原体を他人に拡散してしまうおそれがあり疫学的な問題となります。
また、キャリアとして長期間が経過すると免疫の防御機能及び病原菌の生存戦略によってその病原性は低下する傾向があり、その性質を応用したものとしては弱毒生ワクチンがあり、人為的な不顕性感染により免疫機能を高めるものです。
最後に
"Typhoid Mary"「腸チフスのメアリー」のエピソードは、公衆衛生の意識を高めるための教材として、特に食品を扱う人がいかに衛生に対して気を使わなければならないかを学ぶため、恐怖感の与える呼び名とともに今に語り継がれています。
参考文献 Wikipedia





